令和5年10月の山門掲示板「窮龜を見病雀を見しとき、彼が報謝を求めず、唯單へに利行に催ほさるヽなり」
窮亀を見病雀を見しとき、彼が報謝を求めず、唯単へに利行に催おさるるなり
11月も半ばに入ってしまい遅れてしまい申しわけありません
10月の山門掲示板は、曹洞宗でお唱えする修証義の第四章からの引用です
意味合いとしては
「困った亀や病気の雀を見る時に、(その助けた人は)見返りをもとめずに、ただ純粋にそれらに対しての行いをした」
というふうになります
東光寺でもご法事の時にお配りしています
この部分は修行義の第四章:発願利生の23節の一部分なのですが
亀や雀という動物がでてくる少しお経では珍しいところです
少しややこしいところなのですが、修証義というお経は、明治時代に日本曹洞宗の開祖:道元禅師の著作から再構築したお経でして
本当の原文は以下の物になります
『窮龜をあはれみ、病雀をやしなふし。窮龜をみ病雀をみしとき、かれが報謝をもとめず、ただひとへに利行にもよほさるるなり』
「正法眼蔵・菩提薩埵四攝法」巻より
この部分に出てくる亀と雀について触れると・・・
「窮亀」
最初にでてくる亀ですが、文字通り窮地に陥った亀という意味です。日本の昔話でも「浦島太郎」のように亀がでてくるものがありますが、こちらは道元禅師が中国の故事から引用したものです。
昔の中国の晋の時代(265-400年)の時代とされるお話で、孔愉(こうゆ)という人が漁師に捕まえられた亀を見て、これを憐れんで買い取って放したところ、亀は嬉しそうに何度も首を左に向けて振り返りながら、海へ帰って
いきました。後に孔愉は出世するのですが、当時、出世した人はハンコの頭の部分を亀の形にする習慣があり、これに習って印を彫らせましたが、そのつまみである亀の首が左に曲がってしまいます。作り直しをしても同じよ
うに左に曲がってしまうのでした。助けた亀の恩返しがそこに報恩という形で現れたという故事です。
「病雀」
次にでてくる病気の雀ですが、後漢(25-220年)の時代のお話です。
楊宝(ようほう)が9歳の時、傷ついた雀の子を見つけました。楊宝が雀を家に連れて帰りって、一年にわたって病気を見守りながら育てたところ、ある日、雀の大群がやってきて、その子雀を連れて飛び去って行きました。
その夜、楊宝のもとに黄衣の童子が現れ、その慈愛深い行いの報いとして、楊宝の子孫の中から政府の高官の地位にのぼるものがでると告げていきました。(瑩山禅師のお話でも夢の中のお告げのようなお話があります)
その後、実際に楊宝は政府の高官に就き、ひ孫の代まで政府の高官の職についたという故事です。
孟子の性善説の中に
「どんな悪人でも小さな子供が井戸に落ちようとしていると、それを救おうとする。どんな人でも憐れみの心は持っている」
というのがありますが、今から2000年以上前の中国でも、たとえ動物であってもそのような心は大切であったとされていたことが分かります。
上の2つの故事はどちらも動物に対する純粋な行いのお話ですが、人間も動物もわけへだてなく平等に他を利益するための善い行いをすること、その行為は打算ではなく心から出る行動であって、自分の利益だけを考えて行動しているでは、利行は成り立たないということです。
まずは、相手が救われることを願って行動する。そして、それを自分の喜びとして捉えることができるようになるということが、今月の山門掲示板の本質です
どうしようもない逆光
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